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翻訳雑感、読書、手芸など


by ars_marloowe_june
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カテゴリ:翻訳( 7 )

訂正しました

ラッセルがヴァン・ドーレンとポーターとラジオで対談。
話題は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』。
1942年のこと。

drawとpaintの差が日本語では雲の中。
drawなのですが、learning to draw picturesは
日本語に強引に引きずられ、「絵を描くのを習う」に
訂正。

それにしても、ラッセルのキャロル評価の低いこと!?
ラッセルの記述の理論は『鏡の国のアリス』で白の騎士とアリスの
詩と詩のタイトルをめぐる遣り取り、名前と名指し、言及との関係を
めぐるあの愉快な遣り取りに明らかなのに。

白の騎士とアリスのこの名前と名指しをめぐるやりとりは、
当然、アキレスと亀の証明の無限後退をめぐるやりとりとは、
タイプは違うが、酷似的!

酷似していても、キャロルがラッセルに影響を与えたという
わけではない。偶々、論理的に考えていて夫々出てきたものだと
思われるから。

何故、このような断り方をするかというと、キャロルがウィトゲンシュタインに
影響を与えたというコメントを読んだからだ。
誰が言ったのか、お訊ねしたいものです・・・。
by ars_marloowe_june | 2007-02-12 08:18 | 翻訳

素描画 vs 絵画

drawingは素描画とまで言えないという指摘を受けた。

確かに、素描画はデッサンであり、先ずは、絵に対してある。

色を付けていない画ということだが、洋画の場合、drawingとpaintingは
対照的に分けられるが、日本画ではそうではない。

「画」というのも奇妙だが、「絵」で「画」がカヴァーされる日本画と異なり、
あくまでdrawingとpaintingは区別する洋画。

drawingを「ドローイング」とすると、どうなのか?
画学生が実際に使っていそうだ。
by ars_marloowe_june | 2007-02-08 03:31 | 翻訳
ラッセルの対談で、以下のコメントがある。

They were drawing treacle from the well, and the dor-
mouse explains: "Well, we were just learning to draw; we didn't draw
very well." And suddenly they're talking about drawing pictures-
drawing pictures of things the names of which begin with the letter M.
"Why with the letter M?" "Why not?"

三人姉妹は井戸から蜂蜜を汲み上げていたので、眠りネズミは解説するんです、
「さぁ、私たちはちょうど素描画を描くのを勉強しているところだけど、そんなに上手には
描けないのよ。」そこで、突然、素描画を描くこをと話しているのですが、全てMの文字で
始まる名前のものを描くのを話しているのですね。「なぜMの文字なの。」「なぜ駄目なん
だい。」

ここで、井戸とあるが、ビンジーの井戸がモデルになっている。
問題は、drawing pictures。
字義通りには、「素描画を描く」なのだが、learning to draw picturesとは
自然な日本語としては「お絵かきを御習う」ないしは「お絵かきの勉強をする」だ。

しかし、「絵を描く」はpainting picturesであり、あくまでdrawing picturesと
対照的にあるのである。

そこで、ふと手にしたのは、Lewis Carroll: An Illustrated Biography

Derek Hudson[New American Library, 1977]が
書いたもの。
これにdrawing abilityというのが索引にあり、4頁ほどヒットしている。

御存じのように、ジョージ・マクドナルドの家の子供たちがキャロルの自筆の
『地下の国のアリス』を読んで、本になったら!と言ったところから、更に話を
加えて『不思議の国のアリス』にした。

キャロルは自分の挿し絵を使うことを考えていたとも言われるが、ラスキンに
辞めるように言われたとされている。キャロル自身、実は挿し絵画家を目指して
いたところがあるとハドソンは言う。
この場合の挿し絵画家はあくまでdrawingのほう。

結局、挿し絵の技能drawing abilityを認められなかったので、
写真を撮るようになったというのだ。

Edward Learは画家painterだった。
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現在ではノンセンスのリメリック[滑稽な5行詩]とその挿し絵で有名なリアだが、
色付きの絵も生活のために描いていた。

御存じのように、リアのノンセンスの詩の挿し絵は皆drawing。
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色付きのものは、後から配色されているもの。
私たちの眼から見ると、キャロルのdrawingも悪くない、
むしろLearのものよりいいとも思うのだが、ハドソンはキャロルはリアより
drawingの技能がなかったと書いている。
これには異論もあると思われるが、脇に置いておかせて頂くことに。

ハドソンは、アリス・リデルがラスキンにdrawingを習っていたことを挙げている。
手始めに下絵、正確に描くということで素描させるdrawingがある。

また、水彩画はあっても、油絵はヴィクトリア時代の女性にとってunfeminineな
女らしくないものとしてあっただ。
例えば、エリザベス・シダルはダンテ・ガブリエル・ロゼッティのモデル、妻だったが、
シダルのdrawingが現在でも残っている。
油絵でないとまとまったお金にまずならなかった。
でも、才能は感じられるものを残しているシダル。

ヴィクトリア時代でも女性画家paintersはいたが、男性の画家の数に比べ、僅か。

ベアトリックス・ポッタ-Beatrix PotterはPeter Rabbitの一連の物語の作者。
あの絵とお話は、Potterが家庭教師の子供たちのために手紙で描いたり書いたり
したものだが、元々は色は付いてはいなかった。絵本にするときに配色された。
Potterは絵心のある女性で、本当は絵描きになりたかったようだ。
茸を描いたものがあり、機会があったら、新しい茸の発見者になっていたという。
これは、絵描きとして確立していたら、新種発見者として認められていたということである。

そこで、drawingとpaintingというのは単なるジャンルではなく、
イデオロギーが絡んでいるようだ。彫刻になると、更に絡んでいるのかもしれない。

日本語で「お絵描きを習う」という表現があるが、
これはdrawing picturesだけでなく painting picturesをも
含めており、むしろ後者に力点があるイメージがある。

日本の「絵手紙」。
画手紙、素描画でも「絵手紙」になるのではないだろうか?!
by ars_marloowe_june | 2007-02-07 11:22 | 翻訳
昨日、ラッセルのラジオ対談の翻訳をUPした。
この翻訳を勧めてくださったのは、russell-Jさん。
私のサイトとrussell-Jさんのサイトと両方に同じテキストをUPした。

russell-Jさんのサイトのページは、抜群のレイアウト!!
対談者3人の写真もつき、原文も載せられ、ポーターとヴァン・ドーレンのキャリアも
分かるようにされており、いわば、痒いところに手が届いています!


この差はあまりにも大き過ぎます。
by ars_marloowe_june | 2007-01-28 04:56 | 翻訳
去年の今頃、HPを復活させました。
その後、ずっと更新をさぼっていました。

mixiでかなり満足していたこともあります。
ヤフーブログに時々ですが、読書、犬たちなどが登場していました。

このブログはごく最近からです。
HPのUPの仕方、忘れてしまい、ファイル名無効と出ました。

何とか試行錯誤の後で、UPしました。
対談を御笑覧いただければ、幸いです。

今度UPしたのは、バートランド・ラッセルが1942年にCBSラジオの
対談です。
『不思議の国のアリス』やルイス・キャロルについて語っているものです。
ラッセルが生まれた1872年は、『鏡の国のアリス』の初版が出された年。

ラッセルは子供部屋で『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を
どちらも初版本で読んだそうです。

ラッセルのキャロルの論理学に関するコメントは辛口ですが、
理解の仕方がウィトゲンシュタインと非常に対照的です。

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by ars_marloowe_june | 2007-01-27 00:12 | 翻訳

Ottoline

Ottoline Morrellはラッセルの恋人だった。

オットーラインなのかオットーリンなのか?

映画『キャリントン』(1996)で、主人公ドーラ・キャリントンをリットン・ストレーチーに
紹介するのがOttoline。映画ではオットーラインと呼ばれていた。
そこで、英語の音としてはオットーラインだと思われた。

Ottolineは元々オランダ系。
オランダ語ではオットーリンになるのかもしれない。

固有名詞の読み方は、実際の音に即して表記するのが良いと思われる。
例えば、ラッセルの娘Kate。

Kateは、ケートと従来は表記されてきたが、最近はケイトも見かける。
最初、ケイトにしていたのだが、途中から既に翻訳されているラッセルの伝記で
ケートとあり、ケートと変更した。
結局、ケートをケイトと変えることになる。

「オットーラインはラッセルの恋人だった」と書いたが、「愛人」というのもよく
見かけた。恋人と愛人の端的な違いは何か?
愛人というとすぐに浮かぶのはpaid love/lover。
オットーラインはフィリップ・モレルと結婚したが、ラッセルとは子供時代から
親しかったというのだ?!
それと、オットーラインのほうがフィリップよりお金持ちだった?!

以前、russell-JさんのHPの掲示板に書き込んだコメントは間違いというか
見当はずれだったことがOttolineに関する本を2~3冊ほど当たってみて
気がついた。

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Ottolline: The Life of Lady Ottoline Morrell,
Sandra Jobson Darroch,
Coward, McCann & Georgegan, Inc., 1975.

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Bertrand Russell und Lady Ottoline Morrell: Eine Liebe wider die Philosophie,
Ursula Voss, Rowohlt, 1999.
by ars_marloowe_june | 2007-01-19 02:58 | 翻訳

Ray Monkの『ラッセル伝』

去年から始めたのはRay Monkのラッセル伝の翻訳。
夏休み頃から力を入れたが、10月下旬頃、一気に疲れが出た。
(第二巻は500頁ほどある。253頁のところで停まってしまったまま。)

Ray Monkのラッセル伝は、それまで充分に取り上げられることの
なかった論理学者としてのラッセルを扱っているだけでなく、他の
ラッセルの伝記作家たちの不足を補うものとなっている。
一言で言えば、Monkの伝記は偶像破壊的。
特に第二巻の方は、ラッセルと義理の娘Susanとの近親相姦も
取り上げられているだけでなく、この伝記の前に出されたCaroline
Mooreheadのラッセル伝でも取り上げられていたDoraの恋人と
彼のボーイフレンド、孫娘Lucyの焼身自殺、Schoemanの政治社会的
動きをも更に深く掘り下げている。

こうサラッと書いただけでも、寝耳に水だと感じられるのではないだろうか。
そこで、後半から訳していた。前半を訳してくれるという奇特な方が出て
くるのを内心期待しながら。

残念ながら、今のところ、一人孤独に進むしかないようだ。
3月にはこの本の要約を発表するので、前半の翻訳も始めることに。
こうした機会を作らないと、ノルマや期限を押しつけられないと駄目人間
なのを痛感するこの3ヶ月間だった。

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画像は、左から『ヴァージニア・ウルフ伝』、
Ray Monkの『ラッセル伝』の上巻、そして下巻。
それぞれ、約800頁, 約600頁、約500頁。
by ars_marloowe_june | 2007-01-17 04:27 | 翻訳