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翻訳雑感、読書、手芸など


by ars_marloowe_june
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カテゴリ:読書( 21 )

ヘンリー・ジェームズ

ヘンリー・ジェームズの小説は、美と繊細さが前面に出てはいるものの、
実際はといえば虫をも殺さないでいる印象を与える人物がひどく腹黒かったり、
悪意に充ちていたりする。推理小説でこんな善い人が犯罪を犯すはずが
ないという人物が本当の犯人だったりするのと似ている。
半分以上も読み進まないと、意外な人物が策略を練っていることが分からない、
気付かれないような書き方をされている。

どうやら作家ヘンリー・ジェームズ自身がかなりの策略家だったらしいのだ。

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ヘンリー・ジェームズばかりが、策略を練っていたわけではないが、矢張り
目立つのだ。ジェームズの心の闇を描こうとしたのはMiranda Seymour。

ジェームズは文壇の大御所だった。
そこで、当然ながら、ジェームズが庇護する者、お気に入りがいた。
ジョセフ・コンラッドとスチ-ヴ・クレインだった。
しかし、飴と鞭とを使って、この二人を苛めていたらしい。

愉快(?)というか興味深いのは、イーディス・ウォートンが作家として売れていた
ので、羨ましがっていたことだ。般ピーからすれば、ジェームズも羨望の的だろうが・・・。

また、ジェームズは彫刻家のヘンドリック・アンデルセンと詩人のロバート・
ブルックにも熱を上げていたそうだ。

以上は、アマゾンで見たこの本の紹介から。
詳細は読んでからご報告いたします。
by ars_marloowe_june | 2007-02-25 06:05 | 読書
昨日、じゃがいもの付け合せで食べられてしまうウサギの肉の
ことを書いた。何だか、トカゲのビルを煙突から入らせて誰が
(=アリスが)家の中にいるのか調べさせようとした白ウサギが
料理されてしまうところを想像してしまいそうだった。

ところで、オットーラインはアイルランドとも縁があった。
オットーラインの宗教的な面を見るのは次のエピソードである。

ロジャー・ケースメントはアイルランド生まれだが、英国の外交にも
勤しんでいた。アフリカや南米で英国の外交のために働いたことに
より、Lordの称号をもらった。しかし、アイルランドのためにドイツと
密約を結ぶ役目を引き受けたため、英国を裏切ったという理由で
逮捕され、裁判で有罪になり、処刑されることになった。

それを知ったオットーラインは助命運動をしようとした。
リットン・ストレーチーに声を掛けたが、良い返事をもらえなかった。
フィリップは国王に助命を頼もうとしたが、取り継いでもらえなかった。

ケースメントは二つの日記を付けていた。
一つは誰もが見ても構わないもの。もう一つはコンゴにいたときに
付けていた「黒い日記」。後者には同性愛者を窺わせる記録があった。

この「黒い日記」の信憑性について見解が分かれていた。
ケースメントが書いたのではなく、ケースメントを陥れようとした者が
書いたと主張する者がいた。
筆跡鑑定も行われた。ケースメントが「黒い日記」を書いたという判断が
鑑定士から下された。

アイルランドではケースメントを憶えている人が多く、ケースメントに因んで
彼の名前を冠した場所もある。他の英国人はケースメントなど知らない人
たちが多い。

筆跡鑑定は極めて主観的だという。
ロジャー・ケースメントの評価も極めて主観的にならざるを得ないようだ。
ウィキペディアでロジャー・ケースメントを見ると、一番上に天秤が載って
おり、傾いている。評価が対照的に分かれてしまい、議論に喧しいこと
意味しているのだ。

どんな点が論争の対象になっているかというと以下の点だ。

ケースメントの宗教  プロテスタントに生まれたのに、カトリックの洗礼を
              受けたとあること。

ケースメントの骨    当時の慣習では罪人は絞め殺されると生石灰のところ
               に埋められた。他の罪人も同様なので、モーッアルト同様
              共同墓地から引き上げられた骨が当人のものかどうか、
              ケースメントの子孫のDNAと比較されなければならない。

称号剥奪       処刑された時点で、Lordという称号も失われたはずで、
             Lord Roger Casementと呼んだり、書いているのは
             オカシイという指摘。

ケースメントの同性愛に関する記述も時代を感じさせる。ヴァチカンから派遣された
司祭たちの幼児虐待がニュースになってからは、ケースメントは幼児性愛者だという
指摘が出てきたからだ。以前は、単なる同性愛者という分類だった。

ところで、コンゴでケースメントはジョセフ・コンラッドに会っている。
by ars_marloowe_june | 2007-02-24 07:37 | 読書

La Fiesta Des Pommes De Terre

La Fiesta Des Pommes De Terre: Petite Histoire & Grandes Recettes
autour de la Pomme de Terre
,
Campanile, 1997.


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この本は、最初 US$ 4.94、送料 Shipping US$ 18.79。
注文したら、送料がなぁ~~ん~~とReduced US$ -13.87も
安くなって、実際には、Total US$ 9.86を請求されました。

なぜ安くしてくれたのかは分からないのですが、嬉しいです。
実際、内容的には、約10ドルの価値しかないと思うからです。

じゃがいもの歴史とじゃがいも料理のレシピ。

スープ、サラダ、魚料理、肉料理、付け合わせ、デザートにじゃがいもを
使ったレシピが紹介されています。

何気なく開けた67頁にウサギのじゃがいもソース合えが載っていました!?
6x7=42 !?
アルファベットと数字を1対1対応させ、ルイス・キャロル
に関係する単語やフレーズの数を出すと、42が頻繁に出てくるという研究を
されているMrs 42に教えなくては!?
by ars_marloowe_june | 2007-02-23 04:15 | 読書
フリーダが清書した『恋する女たち』の原稿をオットーラインは読み、
自分が描かれていると思い、フリーダが自分を憎んでい書いたのだと
思ったようです。

ローレンスは、オットーラインが原稿を読んで激怒したことを知った
時点で、エージェントを介して、話し合うことも出来たはずなのに
しなかったのです。

小説での描写を変えるという妥協も有り得るのですが、ローレンスは
応じなかったので、オットーラインはフィリップに『恋する女たち』が
出版されないように依頼したのです。

フィリップは誠実な夫の役割を演じる機会を得たのでした。というのも、
フィリップには二人の愛人がいたのですが、その一人が、フィリップとの
仲をばらすと脅していたのを逆手に取り、ローレンスに『恋する女たち』の
出版を考え直してくれないかと頼んだのです。

結果的に、モレル夫妻は出版騒ぎで夫婦仲が改善され、ローレンス夫妻の
夫婦仲もはオットーラインを笑うことで改善されたようです。

『恋する女たち』をローレンスはピンカーというエイジェントに託していました。
フィリップはピンカーにローレンスがHermioneをオットーラインをモデルにした
と記した手紙を見せただけでなく、ピンカーをガーシントンに招いて、
小説の舞台と合致していることを実際に見てもらおうとしました。

ピンカーがローレンスにモレル夫妻からの抗議を訊ねると、ローレンスは
Hermioneはヴィクトリア女王に似てもいないし、オットーラインにも
似てもいない、何百万という女性がHermioneという人物にいるだけだ、
と応えています。

結局、Hermioneはオットーラインでもありえるが他の女性でもあると
いうことでしょうか。この辺は作家ないしもの書きの詭弁の使いどころ
かもしれません。

lローレンスとオットーラインが仲直りするきっかけになったのは、
オットーラインが顎にガンができて、その手術をすることになった
ときでした。
また、本からの印税で暮らしていけるようになったローレンスは、
『恋する女たち』の印税からずっと前にオットーラインから借りたお金を
返しています。
ローレンスは死ぬ前の1年半の間、オットーラインと親密かつ愛情溢れる
手紙を遣り取りしています。

ローレンスとオットーラインで一番記憶に残るのは、以下のエピソードです。
ローレンスは絵も描いていましたが、個展をロンドンで開きました。
[ギャラリーの経営者であるドロシー・ウォレンは、フィリップの姪で、
ローレンスに会った時、出展を依頼。]
ローレンスはギャラリーに足を運べませんでした。病気だということも
ありましたが、『チャタレ-夫人の恋人』をオットーラインや他の人に
送っていたため、故郷に帰ったら逮捕されてしまうからでした。

ローレンスの絵画は猥褻だということで差し押さえられてしまいました。
ローレンスは重病状態になり、ロンドンに向かっていたフリーダは
電報で呼び戻されました。

裁判になりました。オットーラインとフィリップは旧友のために傍聴席へ。
『虹』を発禁にしていた検事ハーバート・J.マスケットが、ローレンスの絵を
粗野で下卑ており、どのような美的ないし芸術的視点からみても素晴らしい
ものではなく、元々猥褻なものだと糾弾し、芸術作品として代わりがないと
しても燃やすことを要求。傍聴席から立ちあがったオットーライン。
判事の裁決を中断させ、人差し指で判事を指すと言ったのです
「火やぶりにしてやりなさい。火やぶりにしてやりなさい。」
by ars_marloowe_june | 2007-02-18 23:02 | 読書
ラッセルはオットーラインの田舎の家に逢引に行くわけですが、
かなりの田舎らしく、列車が単線で、フィリップが乗って来た列車に
乗って帰るため、フィリップと出会い頭にぶつからないように、
お茶屋さんで隠れたりしています。また、出遭わないようにしていても、
フィリップは主ですから、出会ってしまうわけです。
で、フィリップは動揺せずに応対していて、ラッセルも感心しています。

ちょうど、russell-Jさんがオットーラインの周辺を描いた倉持三郎
東京学芸大学名誉教授の論文を掲載されています。

再掲:倉持三郎「D. H. ロレンスと Ottoline Morrell-Women in Love
    の背景」

これをチラッと読んでみたら、ラッセルがパリに行く途中でオットーライン
の家に泊めてもらい、夜中まで話しこんで、愛し合うようになったと書いて
います。

>1911年5月, Russell はパリでの講演を依頼されて出かける途中,
>ロンドンの Bedford Square にある Morrell 家に一晩泊めて
>くれるように頼んだ。そこで彼が夫妻と談笑しているとき,
> Philip は突然選挙区 Burnley によび出された。夫の留守中
>RusselI は Ottoline と話し続けていたが,いつのまにか二人の
>気持はぴったりと合ってしまい、恋人の関係になった

倉持先生は、これをラッセルの『自伝』に基付いて書かれたのですが、
実は、ラッセルは「私家版自伝」も著わしているのです。これは、当然
ですが、未公開です。レイ・モンクはこれも調べて、『ラッセル伝』に
書いています。それによると、この晩ないし夜半には、物理的ないし
生理的な理由がオットーラインの側にあって恋人の関係には
なれなかったとあるそうです!

ダロックも二人は恋人同士になる約束をして別れたとあり、これは、
オットーラインの『回想録』Memoirsに記されて
いる筈です。ダロックはラッセルの「私家版自伝」にはアクセス不可能
だったでしょうから。

オットーラインは、ジュリアンとフィリップに配慮して、ラッセルの『自伝』は
自分が死んでからでないと出さないように頼んでいます。ラッセルは
自分の死後に『自伝』を出すようにすると言っていたのですが、平和活動
資金のために生前に出しています。オットーラインは1938年4月21日に
亡くなりました。ラッセルの『自伝』の初版は1967年です。

ベッドフォード・スクエアの家というのは、ブルームズベリーにあるのです。
ベッドフォードという名前、またベンティンク、はたまた隣接するラッセル・
スクエア。この界隈はオットーラインの実家とラッセル家の所領。とはいえ、
ブルームズベリーと云えば、ヴァージニア・スティーヴン、姉のヴァネッサ・
スティーヴンのテリトリーでもありました。経済力では負ける姉妹も、サロン
ないし文化では競い合っていたところがあります。ないしは、恋人を争って
いたと言ってもいいかもしれません。ヴァネッサはロジャー・フライと付き合って
いたこともありますが、ロジャー・フライは、その前に、オットーラインと
付き合っていたようです。

オットーラインが秘密にしておきたいことがいつも洩れてしまっているのですが、
どうやらリットンとヴァージニアが荷担していたらしいのです。真面目な二人
ですが、トリックスターでもあったようなのです!

こうして、三面記事的要素もてんこ盛りなのです。オモシロイはずです。
by ars_marloowe_june | 2007-02-17 21:23 | 読書

カタルシスとしての文学

先日、オットーラインの伝記の一冊を挙げました。

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Ottolline: The Life of Lady Ottoline Morrell,
Sandra Jobson Darroch,
Coward, McCann & Georgegan, Inc., 1975.


オットーラインは芸術家の擁護者、patronessでした。
オットーラインの父は先妻との間に子供がいたのですが、オットーラインの
兄たちは経済的な面ではオットーラインに不自由をさせたことはなかった
ようです。

第一次世界大戦に英国が参戦するのに反対のオットーライン。
兄たちは参戦派。おくびにも出さないようにして、巧みに振る舞っていた
ところが窺えます。正直に話したら、精神病者だとされて収容されてしまう!、
と冗談半分に言うと、周りの作家や他の芸術家たちが、オットーラインは
精神病院に入れられることになった!?と噂を流しました。

この一例からも窺えますが、ともかく噂が飛び交い,尾ひれが付いて
いたようです。例えば、オットーラインの愛犬はパグなのにシーズ-と
されていたりします。

パグと云えば、Aldous Huxleyの詩"The Lady and the Pug"
あります。ハクスレ-は『イエロー・クローム』を書きましたが、題材の
多くをオットーラインのオックスフォードの邸宅ガーシントンに負って
います。少しでも否定的に表現されていると傷ついたかもしれません。
ガーシントンにモデルを採ったのが拙かったのなら、中国を舞台にすれば
良かったとハクスレ-は応えていますが、オットーラインからすれば、
そういう問題ではなかったのでしょう。他の作家や芸術家同様、ずっと
オットーラインのところに出入りしていましたし、ずっと滞在していたことも
あります。

実は、ハクスレーの前にD.H.ローレンスの『恋する女たち』
Women in Loveで、二人は絶交しています。
[ハクスレ-とも『クローム・イエロー』の出版後、不仲になりました。]
先ず、『恋する女たち』のHermioneはオットーラインがモデルであり、
Birkinはローレンス、Ursulaはフリーダが夫々モデルだという風に
すぐに読めてしまうのです。これには批判があるのを承知していても。

Sandra Jobson Darrochは、ローレンスは主人公のHermioneを
オットーラインに殆ど同情しない者でさえ、Hermioneの描写にオットー
ラインを気の毒だと思うような毒牙をペンで奮うつもりはなかったのだと
言います。

ダロックとは対照的に、毒牙ないし悪意が底にあっても不思議はない、と
Louise Desalvoは言います。
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Conceived With Malice: Literature as Revenge in the Lives and Works
of Virginia and Leonard Woolf, D.H. Lawrence, Djuna Barnes, and
Henry Miller
, A Plume Book, 1994.

デサルボは「全て創作行為とは戦いを告げること」というヘンリー・ミラーの
言葉をこの著書の巻頭に置いています。そこで、最初の視線からして、ダロックと
異質なのです。しかし、デサルボには射抜く眼力があるところが窺われます。
そこで、デサルボもダロックも両者とも読み比べるとバランスが取れるかも
しれません。デサルボはローレンスとオットーラインの関係に限定していますが、
ローレンス以外の作家や芸術家も網羅したら、ダロックとはまた違うオットーラインの
伝記が出てきそうです。

さて、ローレンスの『恋する女たち』のHermioneを見ると、性に執着しています。
しかし、オットーラインにとって性的なものは目的ではなく手段だった、とダロックは
断わっています。

オットーラインには複数の恋人と愛人がいましたが、関係の深さから見ると、
ラッセル、ローレンス、ストレーチーの三人が重要だったようです。
ラッセルの求愛。これはヘンリー・ラム、ロジャー・フライとの恋愛と最初、平行
していました。ローレンスの場合、他の作家や芸術家よりも困窮していた
こともあり、擁護者としての立場が大きかったようですし、ストレーチーは
諧謔さにより、しばしば淀みがちになる他の庇護者と擁護者との関係にそよ風を
もたらしてくれていたようです。

リットン・ストレーチーとドーラ・キャリントンの関係、並びに二人を取り巻く人たちが
映画『キャリントン』で出てきていました。マーク・ガートラーとドーラ・キャリントンは
同じ美術学校で学んでいました。ガートラーは自分の株をストレーチーに上げて
もらおうと考えたようです。ところが、キャリントンはストレーチーを好きになり、
ガートラーの意図は外れてしまいます。また、ストレーチーはロジャー・フライにも
気があったようで、それでガーシントンに出入りするのが楽しみだった時期があった
ようです。[ロジャー・センハウスはストレーチーの恋人でした。ややこしいですねぇ・・・。]
映画では、曖昧どころか出て来ませんが、キャリントンの夫ラルフ・パートリッジとも
リットンは懇ろだったとあります。映画では、リットンが自動車を買ってあげて二人に
贈るというところに氷山の一角を窺う形だったようです。更に人間関係は交錯して
いるのです。

オットーラインは、夫のフィリップに愛人がいることを知り、愕然としたそうです。
オットーラインは離婚せずに自由に振る舞うだけのお金があったのですね。
だからといって何人もの愛人がいたのかと当然、私たちは思うわけです。
先ずは、ロマンチックな性格というのが最初に挙げられるようです。
これは、幼い頃から王様や貴族たちの遺品の中で暮らしていたこととも無縁では
ないでしょうし、宗教的な雰囲気に幼い頃から包まれていたこととも無関係では
ないでしょう。また、オットーラインにはジュリアンという娘がいましたが、ジュリアン
は双子で生まれ、ヒュ-という男の子も生まれたのですが、すぐに亡くなって
そうです。また、婦人病に悩まされ、手術を受け、二度と子供を生めなくなった
そうです。今なら、また違うのでしょうが、精神病の施設に監禁、そしてこの
産婦人科の対応とに時代を感じます。

[後者はT.S.エリオットの妻ヴィヴィアン・エリオットにも見られるのですが、
これについてはまた後述させてください。]

結局、ローレンスにしろハクスレ-にしろ、また他の作家たちにしろ、著述により
庇護者の殻という重りをかき棄てることが出来たのだろう。自立するために必要
だったのかもしれない。一方、オットーラインはといえば、自ら創作することは
なかった。オットーライン自身が芸術作品だということを作品の中で提示した者
もいたほどだ。これにオットーラインが喜ぶと思ったようだが、実際には逆の
反応しか返ってこなかった。

D.H.ローレンスもハクスレ-もオットーラインが傷つくとは思っていなかったようだ。
二人ともブレンド、作品の登場人物にオットーレイン的なものをブレンドしたに
過ぎないと考えていた節がある。

オットーラインは、二人と最後には仲良くしている。
皆、魅力的な人たちだが、一筋縄では行きそうもないことは確かだ・・・。
by ars_marloowe_june | 2007-02-17 12:19 | 読書

アラン・ソーカル

アラン・ソーカルは物理学者。
1998年にジャン・ブリモンと『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における
科学の濫用』を共著。
翻訳も出て、私も読んでいた

ソーカルのインタヴューもWhat Philosophers Thinkに収められている。

そこで、ソーカルのコメントで注目したのは以下の2点。

① 批判の対象になった著名な文化人と同じ分野の研究者
  たちから、永年、知的欺瞞を指摘してきたが相手にされな
  かったが、部外者のソーカルらによって無視する[厚顔無知な]
  者たちに衝撃が与えられた、というフィ-ドバックを受けた。
② 「語るにしても詩的に美しく語ることが出来なければ・・・!」
"My personal feeling would be most of these people don't write
   good poetry either, but that's another story." (ibid., 60)

この二番目のところを読んだ時には笑ってしまった。
私自身を笑ったのだ。5~6年ほど前にラカンの自我図式を表わした。
詩を使ったりはしているものの、先ず、ラカンの図式自体を詩に取り込む
ところまで行っていなかった。

去年、その取り込み方に気がついた。
ヒントは、レイ・モンクの『ラッセル伝 II 』でに出てきた。
ラッセルはジェラルド・ブレナンンの妻Gamelに、自分とガメルとだけ
互いの魂を分かち合えると書いている。これを、モンクはコンラッドの
描く「秘密の共有者」に喩えている。ラッセルは恋する相手の魂を覗き
こむことが出来、相手だけがラッセルの魂を覗きこむことが出来ると
いうのがコンラッドの描いた秘密を共有する者たち。このコンラッドの描く
二人を見つめる「私」がラカンの自我図式だ。、厄介なのは私と秘密の
共有者も私、その二人を見つめているのも私だというところ。これを
分かり易く映像化しているのは、シェイクスピア。お互いの瞳孔に互いの
姿を見るというものだ。
by ars_marloowe_june | 2007-02-13 22:42 | 読書
「女性は産む機械」
この発言が大分前から物議を醸している。

先日御紹介したWhat Philosophers Thinkで、
メタファーの功罪が挙げられていた。
メアリー・ミグリーMary Midgleyは、インタヴューで
文学者や哲学者だけでなく、科学者もメタファーを使うこと、
その浸透性と無意識性について指摘している。

女性は産む機械の背後に控えているのは、人間は税金を
払う機械、 年金を賄う機械、という芋蔓式の人間機械論
なのだ。となれば、 柳沢大臣は安部首相のみでなく、
前小泉首相の財政改革/財政改悪(?) をも蒸し返していることになる。
柳沢大臣一人が槍玉に上げられるだけでは
済まない。柳沢大臣を庇うのも当然の成り行きとなるのだが、
ここで、 矢張り、遅まきながらも、箱物行政を辞め、
財政を立て直すように努め ないと・・・ともう手遅れだと
思いながらも考えるのだ。

何故今頃、こんなことを書いているかというと、
多少袖触れ合った 人(女性)がこの柳沢発言にひどく
傷つき動転され、まだ立ち直って いないようだったからだ。
その方とメッセをしていて、「柳沢の馬鹿!」
と本当に思ったからだ。

ちなみにメアリー・ミグリーは、アイリス・マードックと大学時代から友人だった。
ミグリーによれば、マードックは小説家として著名だが、メタファーに関して
ちゃんと仕事をしているとマードックを擁護。

これは、A.N.ウィルソンの『マードック私伝』Iris Murdoch As I Knew Her
対する批判とも受け取られるよう。マードック自身、逆立ちをしても敵わないし、
どんなことをしても敵わないとウィトゲンシュタインを「哲学の鬼」と言っている。

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A.N. Wilson, Iris Murdoch As I Knew Her, Arrow, 2004.

ウィルソンのこの『マードック伝』も読んで損はない一冊だ。
先ず、ウィルソンはアイリス・マードックの夫だったジョン・ベイリーの弟子だった。
アイリスとも親しくしていて、伝記を書くように依頼されてもいる。
親密でなければ分からなかったことが幾つもこの伝記で明かされている。
その幾つかを御紹介してみよう。

① マードックののプロフには常にAnglo-Irish英国系
  アイルランド人と記載されてきた。父が英国人、
  母がアイルランド人。Anglo-Irishと聞くと、高い階級を
  イメージしてしまうのだが、マードックの父と母は出来
  ちゃった結婚をしたこと、普通のアパ-トに住んで
  いたことをウィルソンは付き止めている。
② マードックの母もアルツハイマー病だった。
③ 映画『アイリス』ではジョン・ベイリーはアルツハイマー病  
 で崩壊していく妻を介護していた。ウィルソンによれば、
 ジョン・ベイリーはアイリスがアルツハイマーになってから、
 アイリスが横にいても、Audi Villersと手を繋いでいた。

④ ウィルソンのこの本はマードックの私生活を明かして
  おり、物議を醸すものとなった。エリアス・カネッティとの
  ことは、ジョン・ベイリーも書いているし、BBCのTVの
  追悼番組でもカネッティの妻が二人の情事の後で、
  珈琲を出していたと述べていた。恐らく、カネッティ以外の
  男性との関係が問題とされているのだろう。

⑤ The Word Childの主人公のモデルとウィルソンがする
  大学教授は、生まれも育ちも小説の主人公より良過ぎる
  気がするが、他の特徴は合致しており、そうした推測も
  貴重ではないかと私は思っている。何よりも、ウィルソンと
  ベイリーがこのモデルとなった人物を訪ねて行くと、
  マードックと彼がソファーで抱き合っていた。
  少しも動揺することなく、会話を始めたというアイリス。

⑤ アイルランド人の旧友によると、マードックは基本的に
  同性愛者だという。ウィルソンは気がついていないようだ 
  が、マードックの小説、The Italian Girl 『イタリアの女』に
  1個所だけ、同性愛を暗示する個所がある。

英語のウィキペディアでは、マードックはウィトゲンシュタインの弟子だったとある?!
ぶっ飛び物だ。訂正しようと思ったが、考え直した。
柳沢大臣の「健全」発言の不適切さが出てくるのに苦笑してしまった。
マードックのこちらの情報も笑いが止まらない。また、ウィキペディアのほうは
故意に書き込まれたものとも考えられ、柳沢発言より可愛いからだ。

また、ウィキペディア以外のサイトでも、例えば、アイリス・マードック協会
の頁でもウィトゲンシュタインの下で学んだとあった?!
マードックの小説は、最初に売れた『網の中』Under the Netからずっと、
言語分析的雰囲気を批判することを念頭に置いて書かれている。
マードック自身、”Against Dryness”で19世紀的な作家authorの立場で
書くと宣言していた。

ウィトゲンシュタイン的なものを持ち出すのは、恐らく禅の立場とアプローチから
だと思われる。
しかし、弟子呼ばわりするのは少しおこがましく感じられてならない。
また、マードックの小説の世界の独特な雰囲気,知的偏重はウィトゲンシュタインが
そもそも毛嫌いしたものではないか?!

また、ウィトゲンシュタインがパスカルと似ているという指摘があった。
パスカルは誠実さを自分にも他者にも求めた。
神が望むからということになる誠実さだ。
マードックの宗教観はパスカル的誠実さとは疎遠ではないだろうか。
ウィルソンによれば、ベイリーがマードックに神に拘るのは女子供のやることだ、
とマードックが執着していたキリスト教的神を捨てさせたという。
これは、短絡的科学主義を標榜する現代の思潮に受け入れ易いだろう。
ウィトゲンシュタインは極めて非科学主義であり、神、信仰に関してもおよそ
現代的ではない。
ともかく、宗教的なものに関してみると、既成のキリスト教の神に対する
態度が、ウィトゲンシュタインとマードックでは異質なのだ。
by ars_marloowe_june | 2007-02-11 12:05 | 読書

『真相』

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『真相』、横山秀夫、双葉文庫、2006年。

横山秀夫は『半落ち』で憶えていた。
これは、表題になった1事件を含めた5つの事件に
まつわる夫々の真相を描いたもの。
その5つとは、以下。

「真相」
「18番ホール」
「不眠」
「花輪の海」
「他人の家」

夫々が背骨を震わせる真相を秘めているが、
ここでは、最後の「他人の家」を御紹介させて
頂くことにします。

貝原英治は、27歳のときに、広神正雄と強盗に入った。

広神は或るスーパーに弁当を納入する約束を取り付け、
500万円を投資。しかし、約束を反故にされた。
貝原は、父が死に、母も死んだ後、
町役場で働いていた兄が小豆相場で父の遺産を全て使い、
すってしまった。消費者ロ-ンからも借りていた。
兄は消えてしまった。借金の4000万円ほどが、
貝原一人に残された。貝原には婚約者の映子がいたが、
借金で結婚どころではなく、お先真っ暗。
そこへ、広神からの誘い。

スーパーのオーナーの家に強盗に入ろうと、
広神が貝原を誘った。
金庫を持ち出したところ、家人に見つかり、
弾みで金庫が広神の手から離れたかと思うと、
オーナーを直撃。瀕死だった。

貝原は7年の刑、広神は10年の刑に服すように命じられた。
貝原が3年も早く出所できたのは、貝原の弁護士が広神が
主謀者だと立証するのに巧みだったこともあった。

出所した貝原は恩師に保証人になってもらいアパートを借り、
映子と住んでいた。職に就くのもままならない貝原に
恩師は自分の畑の面倒をみさせて、二人の生活を助けていた。
畑に作業に行くと、いつも佐藤さんに会った。
このまだ60代後半なのに、顔色が悪い。
佐藤老人と呼んだほうが自然な感じの人だった。

大家から突然、アパートの立ち退きを要求される貝原夫妻。
契約では1ヶ月前に通知となっているのに、1週間の猶予しか
与えられなかった。
貝原が大家に話しに行くと、貝原が犯罪者だということを
知ったと言われるのだった。ネットに書いてあるのだから、
サッサと出て行ってくれ、というのだ。

二人は路頭に迷う覚悟でいると、佐藤さんが二人に養子に
なってくれないかと言われるのだった。
佐藤老人によれば、妻は男を作って出て行ってしまったという。
また、妹がいるが、仲が悪く、妹にこの家と土地が渡るのは
嫌だとのこと。養子になって、自分の死後は線香を上げて
もらえればそれだけが本望だというのだった。

貝原でなく佐藤というあるふれた苗字になれば、
これまでのような面倒なこと、刑期を終えたのに未だに
責められるということもなくなるだろう、と思う貝原夫妻。
それに、佐藤の家に住めば家賃の心配もなくなるし、
映子にも依存はなかった。

二人が佐藤老人と養子縁組をして、佐藤老人と暮らしてから
間もなく、68歳の佐藤さんは亡くなった。
葬式には62歳の佐藤さんの妹も来て、貝原夫妻に養子縁組を
今からでも解消するように迫った。

周囲の他の人たちは貝原夫妻を受け入れているようだった。
遺産相続もスムーズに進み、家は貝原たちのものになった。
預貯金も8000万円ほどあった。
とはいえ、自分の家になったものの、どうも他人の家だと
いう気がしてならない貝原だった。

そこへ、疫病神の広神が訊ねてきた。
広神はこの家を売り払って、山分けしようと言う。
広神は、昔、貝原を無視して、映子を自分の女のように
扱っていたところがあったが、また、それを持ち出した。
切れてしまった貝原は広神をやってしまった。

広神の死体をこの家の下、仏壇の下に埋めようと
掘り出したところ、骸骨が出てきた。佐藤の失踪したと
された妻のもの!?
by ars_marloowe_june | 2007-02-10 06:10 | 読書

『失われた町』

『失われた町』、三崎亜紀、集英社、2006年。

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これは、aruceさんが薦められていた一冊。


町が失われ、そこに住む人たちも失われてしまう。
無抵抗な人間に対しては町は寛容なのだが、
失われた人間を捜そうとして町に来る人間には、
敵意を感じ、呑み込もうとしたりする。

「呑み込む」とは対象の人間の記憶を抹消させ、
町との関係、繋がりをなかったことにしてしまうのだ。

大方の人間が失われた町から消えても、残っている人が
いる。また、失われた町のことを知っている人たち、
記憶に残している人たちもいる。そこで、失われた町が
物議をかもし出さないように、失われた町の記憶を処理
するのを仕事にする人たちが要る。

物語は、処理する茜が失われた町の住人だった和宏と
個人的に関わることから始まる。

和宏の恋人の存在を失われた町で知る。
茜の肖像画を描く和宏。
肖像画の茜は和宏の昔の恋人。
和宏の記憶は町が失われた時点で停止している。
茜は和宏と新しい記憶を付け加えることはできない。
町が完全に消滅してしまえば、話は別だが。

茜たちは失われた町で処理作業中、3歳くらいの
少女を見つける。
その子は新しい名前(のぞみ)を貰い、違う場所、
新しい家族のところで暮らすようになる。

町が失われても消えずに残った人の中には、成人した
人たちもいる。
その人たちは、新しいアイデンティティを得て
暮らしながらも、過去の自分が誰だったのかも
分かっている。
一人の身体に二人の心がある状態だが、分裂せず、
統合されている。

新しいアイデンティティが昔の自分の妹で、
妹の元夫と結婚する。妹の代わりになる、代わりとして
扱われることを事前に約束させて。

町が失われることに対する不可抗力。
それでも、記憶によって大事にしたいものがある。
自分を捨てることで、逆に救われる人たち。

不思議な感覚に包まれる物語だった。
映画にすると感動が更に大きなものになりそうだ。
by ars_marloowe_june | 2007-02-09 03:04 | 読書