aruceさん レスの続きです

ラッセルはオットーラインの田舎の家に逢引に行くわけですが、
かなりの田舎らしく、列車が単線で、フィリップが乗って来た列車に
乗って帰るため、フィリップと出会い頭にぶつからないように、
お茶屋さんで隠れたりしています。また、出遭わないようにしていても、
フィリップは主ですから、出会ってしまうわけです。
で、フィリップは動揺せずに応対していて、ラッセルも感心しています。

ちょうど、russell-Jさんがオットーラインの周辺を描いた倉持三郎
東京学芸大学名誉教授の論文を掲載されています。

再掲:倉持三郎「D. H. ロレンスと Ottoline Morrell-Women in Love
    の背景」

これをチラッと読んでみたら、ラッセルがパリに行く途中でオットーライン
の家に泊めてもらい、夜中まで話しこんで、愛し合うようになったと書いて
います。

>1911年5月, Russell はパリでの講演を依頼されて出かける途中,
>ロンドンの Bedford Square にある Morrell 家に一晩泊めて
>くれるように頼んだ。そこで彼が夫妻と談笑しているとき,
> Philip は突然選挙区 Burnley によび出された。夫の留守中
>RusselI は Ottoline と話し続けていたが,いつのまにか二人の
>気持はぴったりと合ってしまい、恋人の関係になった

倉持先生は、これをラッセルの『自伝』に基付いて書かれたのですが、
実は、ラッセルは「私家版自伝」も著わしているのです。これは、当然
ですが、未公開です。レイ・モンクはこれも調べて、『ラッセル伝』に
書いています。それによると、この晩ないし夜半には、物理的ないし
生理的な理由がオットーラインの側にあって恋人の関係には
なれなかったとあるそうです!

ダロックも二人は恋人同士になる約束をして別れたとあり、これは、
オットーラインの『回想録』Memoirsに記されて
いる筈です。ダロックはラッセルの「私家版自伝」にはアクセス不可能
だったでしょうから。

オットーラインは、ジュリアンとフィリップに配慮して、ラッセルの『自伝』は
自分が死んでからでないと出さないように頼んでいます。ラッセルは
自分の死後に『自伝』を出すようにすると言っていたのですが、平和活動
資金のために生前に出しています。オットーラインは1938年4月21日に
亡くなりました。ラッセルの『自伝』の初版は1967年です。

ベッドフォード・スクエアの家というのは、ブルームズベリーにあるのです。
ベッドフォードという名前、またベンティンク、はたまた隣接するラッセル・
スクエア。この界隈はオットーラインの実家とラッセル家の所領。とはいえ、
ブルームズベリーと云えば、ヴァージニア・スティーヴン、姉のヴァネッサ・
スティーヴンのテリトリーでもありました。経済力では負ける姉妹も、サロン
ないし文化では競い合っていたところがあります。ないしは、恋人を争って
いたと言ってもいいかもしれません。ヴァネッサはロジャー・フライと付き合って
いたこともありますが、ロジャー・フライは、その前に、オットーラインと
付き合っていたようです。

オットーラインが秘密にしておきたいことがいつも洩れてしまっているのですが、
どうやらリットンとヴァージニアが荷担していたらしいのです。真面目な二人
ですが、トリックスターでもあったようなのです!

こうして、三面記事的要素もてんこ盛りなのです。オモシロイはずです。
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by ars_marloowe_june | 2007-02-17 21:23 | 読書