「じゃがいも、庭師、菓子、食事」

『シャーロット・ブロンテ論』、中岡 洋 編著、
開文社出版、2001年。

『不思議の国のアリス』で林檎からジャガイモが出て
くるのをきっかけにして、じゃがいものメタファーと
林檎のメタファーについて見たのが先日。

じゃがいもについて調べようと、「じゃがいも」で検索。
最寄りの図書館から、借り出した本の一つが本書。
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じゃがいもを正面からテーマにしていたのが大田美和
(おおたみわ)駒沢女子大学助教授の論文「じゃがいも、
庭師、菓子、食事-『ヴィレット』における『幸福』の
『栽培』---」。

じゃがいもが「幸福」の「栽培」に関わるが、それだけに
終わらない、というのが大田美和助教授の考察である。
その前半の構成部にじゃがいもと林檎のメタファーが
採り入れられている。

(1)主人公ルーシーは、ベルギーのブリュッセルで勉強する
 英国人留学生。幸福を養えcultivate happinessとグレアムに
 言われると、「幸せとは、じゃがいもではない」と反論する。
 フランス語では、cultivateでなくcultureが栽培。
 養殖真珠cultured pearlsであり、cultivate とcultureないし
 growが芋蔓式に出てくる。
(2)「幸せとはじゃがいもではない」 ここで、じゃがいもは
 ブロンテの父パトリックがアイルランドからイギリスに来て、
 貧農な身分から英国国教会司祭にまでなったこと、
 じゃがいもはブロンテ家の常食だったこと、ブリュッセル
 でホームシックになったとき、召使のタビ-がじゃがいもを
 茹でる火を起こすのを思い出していること、視力が衰えた
 タビ-のためにじゃがいもの芽を取り除いてあげたこと、
 タビ-にエミリーとアンはじゃがいもの皮むきを言いつけ
 られたこと、などが背景となっている。
(3)ルーシーは異郷の地で、神経衰弱気味。
  里心をくすぐるじゃがいもだけでは幸福になれない。
   最初に幸福を養うことを提唱した男性はルーシーを
  おいて他の女性の元に行き、庭師として登場するのが
  ポール先生。ポールがワーズワースを知っていることは、
  設定として偶然ではないのだろう。同郷同食を示唆。
(4)ポールはルーシーの試験勉強を個人的にみてやる。
  個人教授を抜け出して、食べ物を取りにいくルーシー。
  二人は焼き林檎を分かち合う。

大田助教授は次のように言う。

りんごといえば当然アダムとイヴを連想するが、じゃがいもが
フランス語では「大地のりんご」(pomme de terre)であって、
その省略形pommeはりんごpommeと同じで、二つの単語が
しばしば混同されることに注意を払うべきであろう。
『ヴィレット』では、フランス語とは逆に、じゃがいもがりんごに
変わる。じゃがいものもつ日常性は保ったまま、より象徴性と
神話性の高いりんごへと、じゃがいもが変容するのである。


■ 付録

後半についてお知りになりたいでしょうか。
後半部は以下のようになっています。

(5)ポールによりルーシーは食べきれないほどの食べ物を
 force強制される。forceは「促成栽培する」という意味もあり、
 ポールはルーシーが公開試験のためにルーシーの知識を 
 促成栽培。
(6)最初に幸福の象徴として出されていた「天国のしぼまない花」
  と「黄金の果実」とは、前者はポールから贈られたすみれを
  ルーシーが押し花にしたものであり、後者は、「じゃがいもが
  変容したりんご、二人で味わったお菓子」。

大田助教授のこの論文の最後は以下。

結局、ルーシーは幸せを育て続ける喜びには恵まれず、
一人で生きるのだが、彼女は幸せについても彼女らしい、
一筋縄ではいかない、機知と皮肉に富んだ比喩を見出した
のである。幸せとはじゃがいもであって、じゃがいもではない
のであった。

これに対して、異論ないし反論も出せるでしょうが、恐らく
大田助教授の見方が作家シャーロット・ブロンテの時代を
反映したものなのかもしれません。
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by ars_marloowe_june | 2007-02-04 05:01 | 読書