翻訳雑感、読書、手芸など


by ars_marloowe_june
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-26 02:18 | その他

ヘンリー・ジェームズ

ヘンリー・ジェームズの小説は、美と繊細さが前面に出てはいるものの、
実際はといえば虫をも殺さないでいる印象を与える人物がひどく腹黒かったり、
悪意に充ちていたりする。推理小説でこんな善い人が犯罪を犯すはずが
ないという人物が本当の犯人だったりするのと似ている。
半分以上も読み進まないと、意外な人物が策略を練っていることが分からない、
気付かれないような書き方をされている。

どうやら作家ヘンリー・ジェームズ自身がかなりの策略家だったらしいのだ。

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ヘンリー・ジェームズばかりが、策略を練っていたわけではないが、矢張り
目立つのだ。ジェームズの心の闇を描こうとしたのはMiranda Seymour。

ジェームズは文壇の大御所だった。
そこで、当然ながら、ジェームズが庇護する者、お気に入りがいた。
ジョセフ・コンラッドとスチ-ヴ・クレインだった。
しかし、飴と鞭とを使って、この二人を苛めていたらしい。

愉快(?)というか興味深いのは、イーディス・ウォートンが作家として売れていた
ので、羨ましがっていたことだ。般ピーからすれば、ジェームズも羨望の的だろうが・・・。

また、ジェームズは彫刻家のヘンドリック・アンデルセンと詩人のロバート・
ブルックにも熱を上げていたそうだ。

以上は、アマゾンで見たこの本の紹介から。
詳細は読んでからご報告いたします。
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-25 06:05 | 読書
昨日、じゃがいもの付け合せで食べられてしまうウサギの肉の
ことを書いた。何だか、トカゲのビルを煙突から入らせて誰が
(=アリスが)家の中にいるのか調べさせようとした白ウサギが
料理されてしまうところを想像してしまいそうだった。

ところで、オットーラインはアイルランドとも縁があった。
オットーラインの宗教的な面を見るのは次のエピソードである。

ロジャー・ケースメントはアイルランド生まれだが、英国の外交にも
勤しんでいた。アフリカや南米で英国の外交のために働いたことに
より、Lordの称号をもらった。しかし、アイルランドのためにドイツと
密約を結ぶ役目を引き受けたため、英国を裏切ったという理由で
逮捕され、裁判で有罪になり、処刑されることになった。

それを知ったオットーラインは助命運動をしようとした。
リットン・ストレーチーに声を掛けたが、良い返事をもらえなかった。
フィリップは国王に助命を頼もうとしたが、取り継いでもらえなかった。

ケースメントは二つの日記を付けていた。
一つは誰もが見ても構わないもの。もう一つはコンゴにいたときに
付けていた「黒い日記」。後者には同性愛者を窺わせる記録があった。

この「黒い日記」の信憑性について見解が分かれていた。
ケースメントが書いたのではなく、ケースメントを陥れようとした者が
書いたと主張する者がいた。
筆跡鑑定も行われた。ケースメントが「黒い日記」を書いたという判断が
鑑定士から下された。

アイルランドではケースメントを憶えている人が多く、ケースメントに因んで
彼の名前を冠した場所もある。他の英国人はケースメントなど知らない人
たちが多い。

筆跡鑑定は極めて主観的だという。
ロジャー・ケースメントの評価も極めて主観的にならざるを得ないようだ。
ウィキペディアでロジャー・ケースメントを見ると、一番上に天秤が載って
おり、傾いている。評価が対照的に分かれてしまい、議論に喧しいこと
意味しているのだ。

どんな点が論争の対象になっているかというと以下の点だ。

ケースメントの宗教  プロテスタントに生まれたのに、カトリックの洗礼を
              受けたとあること。

ケースメントの骨    当時の慣習では罪人は絞め殺されると生石灰のところ
               に埋められた。他の罪人も同様なので、モーッアルト同様
              共同墓地から引き上げられた骨が当人のものかどうか、
              ケースメントの子孫のDNAと比較されなければならない。

称号剥奪       処刑された時点で、Lordという称号も失われたはずで、
             Lord Roger Casementと呼んだり、書いているのは
             オカシイという指摘。

ケースメントの同性愛に関する記述も時代を感じさせる。ヴァチカンから派遣された
司祭たちの幼児虐待がニュースになってからは、ケースメントは幼児性愛者だという
指摘が出てきたからだ。以前は、単なる同性愛者という分類だった。

ところで、コンゴでケースメントはジョセフ・コンラッドに会っている。
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-24 07:37 | 読書

La Fiesta Des Pommes De Terre

La Fiesta Des Pommes De Terre: Petite Histoire & Grandes Recettes
autour de la Pomme de Terre
,
Campanile, 1997.


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この本は、最初 US$ 4.94、送料 Shipping US$ 18.79。
注文したら、送料がなぁ~~ん~~とReduced US$ -13.87も
安くなって、実際には、Total US$ 9.86を請求されました。

なぜ安くしてくれたのかは分からないのですが、嬉しいです。
実際、内容的には、約10ドルの価値しかないと思うからです。

じゃがいもの歴史とじゃがいも料理のレシピ。

スープ、サラダ、魚料理、肉料理、付け合わせ、デザートにじゃがいもを
使ったレシピが紹介されています。

何気なく開けた67頁にウサギのじゃがいもソース合えが載っていました!?
6x7=42 !?
アルファベットと数字を1対1対応させ、ルイス・キャロル
に関係する単語やフレーズの数を出すと、42が頻繁に出てくるという研究を
されているMrs 42に教えなくては!?
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-23 04:15 | 読書

お茶目な

Juneです。

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これは、下の写真を撮るまえに撮ったものです。
舌なめずりしているのに気がつきませんでした。
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-22 02:18 | Marloowe & June

こんにちわ~♪

犬嫌いな人にも撫でてもらったJune。
或るとき、自転車に乗った女性のところにJuneが行った。
Juneの頭を撫でてくれたので、犬が好きなのかと聞いたところ、
二度も腕や肩を噛まれたとのこと?!

その方にどうやって犬への恐怖を克服されたのか訊いたところ、
慣れるようにしたと話されていた。
また、ホームヘルパーをされており、訪問されるお宅に犬がいる
ことも多いらしい。
子犬がついてくると言う。

訪問看護では犬の世話をしてはならないことになっているが、
可愛いので、撫でたりしてしまうそうだ。

生来の犬嫌いというのはないのだろうが、噛まれたりすると
トラウマになって、犬の写真を見るだけでも怖いと言う。
例えば、これ!

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ボクサー好きな人たちには「可愛い~♪」と言われているのだが、
人変われば好みも変わる、というわけだ。
ちなみにこの写真はJuneが来たばかりの時に撮ったもの。
MarlooweはJuneを中々受け入れることが出来ず抵抗していたが、
やっと歩み寄ったところ。Marlooweの顔に漂う哀愁と諦観。Marlooweなりに
辛かったのがこの表情に表れているようだ。

この画像の代わりにしようと昨日撮ったのはこちらです。

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# by ars_marloowe_june | 2007-02-21 12:19 | Marloowe & June

た~ら~こ~♪

昨日、Rさんが、アイン・ランドから志村ケンが馬鹿殿で出てきて
アイ~~ンとやるのを連想していた。

これに乗って、Ayn, Ei~~n 卵xn回、
Eye~~n 眼xn回 っていうのを想像。
これって、やっぱり例のたらこ、たらこ、たっぷり
たらこが下敷きになっているんだろうか?!

キューピーのたらこスパゲティ・ソースには
色々なヴァージョンがあるのですね。
私が一番好きなのは、これです。
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-20 08:37 | その他

アイン・ランド

というのは、亡命ロシア人の米国作家。

今日、郵便物を出した帰りにモスバーガーに寄って、
ピーター・アクロイドの『ディケンズ伝』を読んでいた。
ディケンズが靴墨工場で働いていると父のジョン・ディケンズが
オフィスの帰りに立ち寄って、息子チャールズが働いているのを
覗きこむ場面。チャールズは靴墨工場で働いているところを
誰にも見られたくなかったので、この見られるということ、視線に
射られることを何よりも怖れていた。
アクロイドは、『オリヴァ-・ツイスト』で、オリヴァ-が本に囲まれている
ところをフェイギンに覗き込まれるのは、この実体験の逆像だと言う。
面白かったので、笑い出してしまったら、隣に座っていた男性に話し
掛けられ、理由を説明して、二人で笑った。

隣の男性が読んでいたのは『肩をすくめるアトラス』だった。

バートランド・ラッセルのことを話したら、ラッセルを知らなかった?!
超ビックリ・・・・。

ラッセルが社会主義に理解を示していたことを話すと、社会主義は理論も
実践も駄目だよと力説。アイン・ランド主義者だった。ラッセルを知らないのも
無理ないのかも・・・。

米国でスペイン語を話す学生を教えたときにスペイン語を勉強。
使う機会はあまりないようだが、昨日、お隣さんがスペイン語を話すことを
発見したばかりだとか。
自分一人だけでスペイン語を話して、ブラッシュアップしているという。
う~~ん、偉い!
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-19 18:14 | その他
フリーダが清書した『恋する女たち』の原稿をオットーラインは読み、
自分が描かれていると思い、フリーダが自分を憎んでい書いたのだと
思ったようです。

ローレンスは、オットーラインが原稿を読んで激怒したことを知った
時点で、エージェントを介して、話し合うことも出来たはずなのに
しなかったのです。

小説での描写を変えるという妥協も有り得るのですが、ローレンスは
応じなかったので、オットーラインはフィリップに『恋する女たち』が
出版されないように依頼したのです。

フィリップは誠実な夫の役割を演じる機会を得たのでした。というのも、
フィリップには二人の愛人がいたのですが、その一人が、フィリップとの
仲をばらすと脅していたのを逆手に取り、ローレンスに『恋する女たち』の
出版を考え直してくれないかと頼んだのです。

結果的に、モレル夫妻は出版騒ぎで夫婦仲が改善され、ローレンス夫妻の
夫婦仲もはオットーラインを笑うことで改善されたようです。

『恋する女たち』をローレンスはピンカーというエイジェントに託していました。
フィリップはピンカーにローレンスがHermioneをオットーラインをモデルにした
と記した手紙を見せただけでなく、ピンカーをガーシントンに招いて、
小説の舞台と合致していることを実際に見てもらおうとしました。

ピンカーがローレンスにモレル夫妻からの抗議を訊ねると、ローレンスは
Hermioneはヴィクトリア女王に似てもいないし、オットーラインにも
似てもいない、何百万という女性がHermioneという人物にいるだけだ、
と応えています。

結局、Hermioneはオットーラインでもありえるが他の女性でもあると
いうことでしょうか。この辺は作家ないしもの書きの詭弁の使いどころ
かもしれません。

lローレンスとオットーラインが仲直りするきっかけになったのは、
オットーラインが顎にガンができて、その手術をすることになった
ときでした。
また、本からの印税で暮らしていけるようになったローレンスは、
『恋する女たち』の印税からずっと前にオットーラインから借りたお金を
返しています。
ローレンスは死ぬ前の1年半の間、オットーラインと親密かつ愛情溢れる
手紙を遣り取りしています。

ローレンスとオットーラインで一番記憶に残るのは、以下のエピソードです。
ローレンスは絵も描いていましたが、個展をロンドンで開きました。
[ギャラリーの経営者であるドロシー・ウォレンは、フィリップの姪で、
ローレンスに会った時、出展を依頼。]
ローレンスはギャラリーに足を運べませんでした。病気だということも
ありましたが、『チャタレ-夫人の恋人』をオットーラインや他の人に
送っていたため、故郷に帰ったら逮捕されてしまうからでした。

ローレンスの絵画は猥褻だということで差し押さえられてしまいました。
ローレンスは重病状態になり、ロンドンに向かっていたフリーダは
電報で呼び戻されました。

裁判になりました。オットーラインとフィリップは旧友のために傍聴席へ。
『虹』を発禁にしていた検事ハーバート・J.マスケットが、ローレンスの絵を
粗野で下卑ており、どのような美的ないし芸術的視点からみても素晴らしい
ものではなく、元々猥褻なものだと糾弾し、芸術作品として代わりがないと
しても燃やすことを要求。傍聴席から立ちあがったオットーライン。
判事の裁決を中断させ、人差し指で判事を指すと言ったのです
「火やぶりにしてやりなさい。火やぶりにしてやりなさい。」
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-18 23:02 | 読書
ラッセルはオットーラインの田舎の家に逢引に行くわけですが、
かなりの田舎らしく、列車が単線で、フィリップが乗って来た列車に
乗って帰るため、フィリップと出会い頭にぶつからないように、
お茶屋さんで隠れたりしています。また、出遭わないようにしていても、
フィリップは主ですから、出会ってしまうわけです。
で、フィリップは動揺せずに応対していて、ラッセルも感心しています。

ちょうど、russell-Jさんがオットーラインの周辺を描いた倉持三郎
東京学芸大学名誉教授の論文を掲載されています。

再掲:倉持三郎「D. H. ロレンスと Ottoline Morrell-Women in Love
    の背景」

これをチラッと読んでみたら、ラッセルがパリに行く途中でオットーライン
の家に泊めてもらい、夜中まで話しこんで、愛し合うようになったと書いて
います。

>1911年5月, Russell はパリでの講演を依頼されて出かける途中,
>ロンドンの Bedford Square にある Morrell 家に一晩泊めて
>くれるように頼んだ。そこで彼が夫妻と談笑しているとき,
> Philip は突然選挙区 Burnley によび出された。夫の留守中
>RusselI は Ottoline と話し続けていたが,いつのまにか二人の
>気持はぴったりと合ってしまい、恋人の関係になった

倉持先生は、これをラッセルの『自伝』に基付いて書かれたのですが、
実は、ラッセルは「私家版自伝」も著わしているのです。これは、当然
ですが、未公開です。レイ・モンクはこれも調べて、『ラッセル伝』に
書いています。それによると、この晩ないし夜半には、物理的ないし
生理的な理由がオットーラインの側にあって恋人の関係には
なれなかったとあるそうです!

ダロックも二人は恋人同士になる約束をして別れたとあり、これは、
オットーラインの『回想録』Memoirsに記されて
いる筈です。ダロックはラッセルの「私家版自伝」にはアクセス不可能
だったでしょうから。

オットーラインは、ジュリアンとフィリップに配慮して、ラッセルの『自伝』は
自分が死んでからでないと出さないように頼んでいます。ラッセルは
自分の死後に『自伝』を出すようにすると言っていたのですが、平和活動
資金のために生前に出しています。オットーラインは1938年4月21日に
亡くなりました。ラッセルの『自伝』の初版は1967年です。

ベッドフォード・スクエアの家というのは、ブルームズベリーにあるのです。
ベッドフォードという名前、またベンティンク、はたまた隣接するラッセル・
スクエア。この界隈はオットーラインの実家とラッセル家の所領。とはいえ、
ブルームズベリーと云えば、ヴァージニア・スティーヴン、姉のヴァネッサ・
スティーヴンのテリトリーでもありました。経済力では負ける姉妹も、サロン
ないし文化では競い合っていたところがあります。ないしは、恋人を争って
いたと言ってもいいかもしれません。ヴァネッサはロジャー・フライと付き合って
いたこともありますが、ロジャー・フライは、その前に、オットーラインと
付き合っていたようです。

オットーラインが秘密にしておきたいことがいつも洩れてしまっているのですが、
どうやらリットンとヴァージニアが荷担していたらしいのです。真面目な二人
ですが、トリックスターでもあったようなのです!

こうして、三面記事的要素もてんこ盛りなのです。オモシロイはずです。
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# by ars_marloowe_june | 2007-02-17 21:23 | 読書